


車窓を通して次々と流れ去っていく景色。それは道を歩いていて目に飛び込んでくるものとは明らかに違い、野原を歩いていく猫のような気分とでもいうのだろうか‥道なき道を行くような新鮮さがあるものだ。それは見慣れた風景が意外な角度で現れたりするというような切り口の代わりかたもあるが、多くはその場所がどこなのか良くわからないままだというなぞを残した感動を伴うことが多い。

見知らぬ土地を走り抜けているだけであればなおのこと、美しい景色が目に入っても確かめるために訪れてみるという子はなかなかないものだ。

真冬のころにはただ冷たく硬い景色であったところも春の訪れとともに一瞬華やかさに包まれるときがあるものだ。北上する電車にのりまどの外を眺めていると濃いピンク色の桜並木が春の景色の中に予想も無く現れて消えた。そんな秒速の景色が目の間に来ている満足感を何日か後であじわうことがあろうとは!

ふと通りかかった狭い路地の一角で出会った太陽いっぱいの輝きにあふれた八重桜。

まだ若いその樹はそれでもたわわにといってもいいほどのたくさんの花びらを抱えて、今日は来ない子供たちを見守っている。

頼りない細い樹がやがて見事に成長するころにはここに通う子供たちの背も伸びていつか懐かしい想いで見上げることもあるだろう。



未明から眠れないまま朝を迎えた金曜日。暗い部屋の中で今日の夜明けの時間は…と携帯電話の画面を見つめていた。まだ歩いたことのないあの道を今日は歩いてみよう。薄手のコートを羽織り家をでるともう空は白みはじめていた。朝靄のなかの人気のない道を南に向かうと思ったより早く渡良瀬川の堤防が見えてくる。子供のころには川辺で遊び、東京へと離れるまで身近にあった渡良瀬川。こんな風に堤防を朝散歩したことなどなかったが、ここには毎朝挨拶を交わす人々がもうちらほらと行きかっている。
太陽はどこから昇るのだろうと足早に歩いているとまだ薄暗い光の中ふと目に入って見知らぬ寺の桜。
やがて見えてきた太陽は思っていたより北寄りの街ごしからぼんやりとしたオレンジ色の光を放っていた。遠くに見える低い山々の向こうから朝の日差しが顔を出すのはもう日の出からずいぶん経ってからだった。









テニスコートの道を自転車で走っていると、ボールを打つ乾いた音が聞こえてくる。風が吹き始め桜の花びらがまう道にふと目を落としてみると、囁くように小さな花をたくさんつけているきゅうりぐさ。花びらというよりは道端の風景にばらまかれた小さな青いビーズのように清楚。

まだソメイヨシノも咲きだしたばかりだった4月6日、みつけた白いタンポポ。
買ったばかりの自転車を走らせていると道の向こうにピンク色をした噴水のような花姿がみえ、
青信号をまってわたっていくとそこに咲いていたのは雪柳だった。

今日数日ぶりに自宅へ戻る途中、見上げるとそこにはつばめ。
汗ばむほどの陽ざしの下でジャケットをぬいでたちどまると
しばらく元気のよい歌を聞かせてくれた。

春は急に急ぎ足になったように思われるのはまだ桜も三分咲きの街から戻ってきたせいだろうか。
バス停の先で角を曲がると去年と変わらない見事な桜が赤い椿の垣根の上に立ち並んでいた。
春は短い、その短さゆえにもう少し待ってくれないものかと思うことしきり…。
by mari
すずやかな初夏のいろ